2024年04月14日
32 炭焼平4号墳 豊川市(旧一宮町)東上 前方後円墳 16m
炭焼平古墳群は、豊川右岸の扇状地の台地上縁に、南北約1kmの範囲に約40基の古墳が群集していました。4号墳は、古墳群で唯一の前方後円墳で、古墳群の中ほどに位置しています。
古墳は、封土がほとんどなく、石列が前方後円状に巡っています。また、横穴式石室も天井石は見られず、西側くびれ部に開口部があります。出土品としては、勾玉・切子玉・丸玉などの玉類、耳環、大刀・刀子・鉄鏃・鞘金具などの刀剣類があります。
古墳は、ビニルハウス群の農地の一画に保存されています。入口には、案内板が設置され迷うことはありません。
この古墳は1952年に発掘調査され、1957年の『日本考古学年報』では、墳長34.5mの前方後円墳と報告されていました。ただし、2004年に一宮町教育委員会が発行した報告書『炭焼平古墳群』では、墳丘測量の結果、「①唯一の前方後円墳である4号墳の墳長は約16mである。これは従来の認識を大きく修正する。」(p.190)と結論付けています。
同上の報告書を執筆した須川勝以さんは、「215 炭焼平古墳群」(『愛知県史 資料編3 考古3古墳』所収)で、「本古墳群の構成墳は、過去の記録などから40基以上あった可能性が高く、墳形が未確認のものもあるが、4号墳の1基が前方後円墳である他は全て円墳と考えられている。(中略) 前方後円墳である4号墳では、墳丘を取り巻く列石が検出されており、これから規模を求めると墳長16m、後円部径9m、前方部幅6.6mとなる。墳丘の高さについては、調査概要によれば後円部で1.4m、前方部で0.6mとある。列石は場所により2段から数段を積み上げるが、最も高くなるのはくびれ部であり、西側ではここの石室が開口する。」(p.642)と述べています。
「炭焼古墳(おっさん註 「平」はない)群」という名称で、他の現存する4基の円墳とともに、愛知県の史跡に指定されています。
案内板。
「炭焼古墳群」石碑。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
石室。
全景。手前が前方部、奥が後円部。
遠景。左手前が前方部、右奥が後円部。 以上2023年12月撮影。
古墳は、封土がほとんどなく、石列が前方後円状に巡っています。また、横穴式石室も天井石は見られず、西側くびれ部に開口部があります。出土品としては、勾玉・切子玉・丸玉などの玉類、耳環、大刀・刀子・鉄鏃・鞘金具などの刀剣類があります。
古墳は、ビニルハウス群の農地の一画に保存されています。入口には、案内板が設置され迷うことはありません。
この古墳は1952年に発掘調査され、1957年の『日本考古学年報』では、墳長34.5mの前方後円墳と報告されていました。ただし、2004年に一宮町教育委員会が発行した報告書『炭焼平古墳群』では、墳丘測量の結果、「①唯一の前方後円墳である4号墳の墳長は約16mである。これは従来の認識を大きく修正する。」(p.190)と結論付けています。
同上の報告書を執筆した須川勝以さんは、「215 炭焼平古墳群」(『愛知県史 資料編3 考古3古墳』所収)で、「本古墳群の構成墳は、過去の記録などから40基以上あった可能性が高く、墳形が未確認のものもあるが、4号墳の1基が前方後円墳である他は全て円墳と考えられている。(中略) 前方後円墳である4号墳では、墳丘を取り巻く列石が検出されており、これから規模を求めると墳長16m、後円部径9m、前方部幅6.6mとなる。墳丘の高さについては、調査概要によれば後円部で1.4m、前方部で0.6mとある。列石は場所により2段から数段を積み上げるが、最も高くなるのはくびれ部であり、西側ではここの石室が開口する。」(p.642)と述べています。
「炭焼古墳(おっさん註 「平」はない)群」という名称で、他の現存する4基の円墳とともに、愛知県の史跡に指定されています。
案内板。
「炭焼古墳群」石碑。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
石室。
全景。手前が前方部、奥が後円部。
遠景。左手前が前方部、右奥が後円部。 以上2023年12月撮影。
Posted by じこま at 07:06│Comments(0)