2024年04月18日

32ー2 炭焼平18号墳・19号墳 豊川市(旧一宮町)東上 円墳 15m・16m

 18号墳・19号墳は、県道21号線の北側道路脇に15号墳・17号墳とともに保存されています。2基の古墳は、15号墳・17号墳より墳丘は大きく、墳丘裾には列石が確認されています。下記の報告書では、18号墳は「墳丘の南側では墳頂と1mの比高差があり、北側ではその比高差は小さくなる」、19号墳は「南側での墳丘の比高は1.3mに及び、北側でも0.7mを測る。」と記されています。

 2004年に一宮町教育委員会が発行した報告書『炭焼平古墳群』の「第5表 炭焼平古墳群の調査成果一覧1」(p.188)では、「古墳名 18号墳、墳丘 墳形 円墳、規模 15」、「古墳名 19号墳、墳丘 墳形 円墳、規模 16」と記されています。
 この18号墳・19号墳も、「炭焼古墳群」を構成する古墳として、愛知県の史跡に指定されています。

 余談ですが、19号墳の南に隣接していた14号墳からは、鳥鈕蓋付須恵器が出土しており、「鳥鈕蓋付台付壺」という名称で愛知県指定の文化財(考古資料)となっています。現在は、豊川市桜ヶ丘ミュージアムの歴史常設展示室に展示されています。ちなみに、この14号墳出土の鳥鈕蓋付須恵器は7世紀中葉の製作で、36例の出土品のうち最も新しいと考えられるそうです。 桒原将人さん「鳥鈕(鳥鈕蓋付須恵器の鳥像)の姿態表現の変遷模式」(2015年、豊川市桜ヶ丘ミュージアム発行パンフレット『こだい鳥エンナーレ』pp.4~5)より。
 なお、鳥鈕蓋付須恵器は、愛知県を中心に6世紀から7世紀にかけて東海地方から出土する特徴的な須恵器です。赤塚次郎さんは、「「鈴鏡」「鳥鈕」「尾張型埴輪」の分布から草香の意図が見えてくる。すなわち重視した「中濃」「揖斐川水系」ルート、これはヲホド王擁立に至る北陸との文化路整備を前提として評価できよう。」(「尾張連草香の文化遺跡群 鳥のデザイン・塩作り・焼物産業・東の海道とアユチ潟」p.16、しだみゅー歴史セミナー資料集(2024年3月10日発行) 『尾張連草香の國』所収)と述べ、尾張連草香(継体大王の妃となった目子媛の父と伝えられる)が、鳥鈕蓋付須恵器のルーツに関与していたと推測しています。おっさんは、「鳥居」が聖俗の結界を示すように、鳥鈕蓋付須恵器が死後の世界の入口を象徴する遺物だと密かに妄想しています。


 18号墳(径15m)。
  全景。
32ー2 炭焼平18号墳・19号墳 豊川市(旧一宮町)東上 円墳 15m・16m


 19号墳(径16m)。
  全景。
32ー2 炭焼平18号墳・19号墳 豊川市(旧一宮町)東上 円墳 15m・16m

  全景。
32ー2 炭焼平18号墳・19号墳 豊川市(旧一宮町)東上 円墳 15m・16m


 遠景。左から19・18・17・15号墳。
32ー2 炭焼平18号墳・19号墳 豊川市(旧一宮町)東上 円墳 15m・16m
        以上2023年12月撮影。



Posted by じこま at 07:06│Comments(0)
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