2024年01月09日
01ー1 船山第2号墳[船山古墳群] 豊川市八幡町 方墳 辺20m
この2号墳は前方後円(方)墳ではありませんが、前方後円墳の船山1号墳の北側に隣接する古墳ということで取り上げました。
『愛知県史 資料編3 考古3古墳』の「208 船山古墳群」の項目で、「第2号墳は、一辺19.5mの方墳で、高さは2.5mを測る。葺石・周濠はなく、墳裾の埴輪列もないが、墳頂部からは円筒・形象埴輪が出土している。」(p.620)と記されています。
同上書によれば、1964年の発掘調査後、滅失したそうです。跡地は、コンビニの駐車場となっています。
この船山古墳群の約400m南東には三河国府跡があります。また、近隣には国分寺跡や国分尼寺跡も確認されており、この地は律令時代の三河国の中心地であったことがわかります。
また、第1号墳の南側を走る県道5号線は、江戸時代は姫街道と呼ばれ、東海道のバイパス的存在でした。将軍吉宗の時代に、象がこの道を通って江戸に向かったことが知られています。
跡地付近(右奥が第1号墳前方部)。北西から。
跡地付近(奥が第1号墳前方部)。北から。
跡地付近(第1号墳前方部北側端から)。南から。 以上2024年1月撮影。
『愛知県史 資料編3 考古3古墳』の「208 船山古墳群」の項目で、「第2号墳は、一辺19.5mの方墳で、高さは2.5mを測る。葺石・周濠はなく、墳裾の埴輪列もないが、墳頂部からは円筒・形象埴輪が出土している。」(p.620)と記されています。
同上書によれば、1964年の発掘調査後、滅失したそうです。跡地は、コンビニの駐車場となっています。
この船山古墳群の約400m南東には三河国府跡があります。また、近隣には国分寺跡や国分尼寺跡も確認されており、この地は律令時代の三河国の中心地であったことがわかります。
また、第1号墳の南側を走る県道5号線は、江戸時代は姫街道と呼ばれ、東海道のバイパス的存在でした。将軍吉宗の時代に、象がこの道を通って江戸に向かったことが知られています。
跡地付近(右奥が第1号墳前方部)。北西から。
跡地付近(奥が第1号墳前方部)。北から。
跡地付近(第1号墳前方部北側端から)。南から。 以上2024年1月撮影。
Posted by じこま at 07:06│Comments(0)