2024年01月15日
02ー1 大塚南古墳[馬越長火塚古墳群] 豊橋市石巻本町 円墳 径19m
前回に続いて脱線しますが、馬越長火塚古墳の約50m南西に位置する円墳です。周囲はほぼ柿木畑で、墳頂部もその影響で平坦になっています。2008年の発掘調査で、鏡板・雲珠・辻金具などの馬飾りや須恵器が出土し、馬越長火塚古墳に続く7世紀初頭の首長墓と考えられています。
また、2021年の発掘調査では、横穴式石室の側壁の石が持ち出されていたことが明らかとなり、地元の伝承から吉田城の石垣として運び出された可能性が指摘されています。
『愛知県史 資料編3 考古3古墳』の「遺跡一覧表」に「円墳(径17.5m)」と記されています。ただし、発掘調査の結果、「区画溝と想定した内側を墳端ととらえた場合、大塚南古墳は直径19mの円墳に復元することができる。」(豊橋市教育委員会『馬越長火塚古墳群』、pp.175~176)と報告されているので、「径19m」としました。
2016年に「馬越長火塚古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
全景。西から。
全景。南から。
全景。東から。 以上2023年12月撮影。
全景。北東から。
全景。右端が排土。西から。
全景。左端が排土。南から。
墳頂。 以上2021年1月撮影。
余談ですが、2018年11月に撮影した大塚南古墳の絵は、姉妹ブログ「古墳探訪 大型古墳集成」に掲載しています。2018年11月9日のブログ「943-2 馬越長火塚古墳のおまけの『馬越長火塚古墳群』」中の「②大塚南古墳(円墳 径19m)」として。
また、2021年の発掘調査では、横穴式石室の側壁の石が持ち出されていたことが明らかとなり、地元の伝承から吉田城の石垣として運び出された可能性が指摘されています。
『愛知県史 資料編3 考古3古墳』の「遺跡一覧表」に「円墳(径17.5m)」と記されています。ただし、発掘調査の結果、「区画溝と想定した内側を墳端ととらえた場合、大塚南古墳は直径19mの円墳に復元することができる。」(豊橋市教育委員会『馬越長火塚古墳群』、pp.175~176)と報告されているので、「径19m」としました。
2016年に「馬越長火塚古墳群」を構成する一基として、国の史跡に指定されています。
全景。西から。
全景。南から。
全景。東から。 以上2023年12月撮影。
全景。北東から。
全景。右端が排土。西から。
全景。左端が排土。南から。
墳頂。 以上2021年1月撮影。
余談ですが、2018年11月に撮影した大塚南古墳の絵は、姉妹ブログ「古墳探訪 大型古墳集成」に掲載しています。2018年11月9日のブログ「943-2 馬越長火塚古墳のおまけの『馬越長火塚古墳群』」中の「②大塚南古墳(円墳 径19m)」として。
Posted by じこま at 07:06│Comments(0)