2024年01月19日

03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m

 この古墳は、東三河の前期古墳としては、最大規模で最古級の前方後方墳です。築造当時は、豊川左岸の三河湾の最奥部に半島状に突き出した先端部に位置していたと思われます。後方部は市杵嶋神社の境内にあり、墳頂部付近は社殿が建立されています。前方部は削平され、跡地は住宅地となっています。古墳の北東部に隣接して、市場公園があります。
 また、後方部の東側(社殿の奥)には多数の貝殻が見られます。この場所は、出土した土器などから、縄文時代後期から晩期にかけての貝塚であったことも明らかになっています。   
   
 『愛知県史 資料編3 考古3古墳』の「遺跡一覧表」では、「前方後方墳(全長約60m)」(p.797)と記されていました。ただし、解説の「241 市杵嶋神社古墳」では、「本墳は推定全長55mの前方後方墳で、後方部幅32.5m・高さ約5m、前方部は推定長約23mと考えられる。」(p.695)と述べられています。
 また、1991年に豊橋市教育委員会が発行した『市杵嶋神社遺跡(Ⅰ) ー市杵嶋神社貝塚・市杵嶋神社古墳ー』では、「古墳の規模をまとめてみると、全長60m前後、後方部長32m、同高5m、前方部長17m以上、同幅17m以上、同高1.5m以上、くびれ部幅10mとなり、東三河地域における前方後方墳の中では最も大きな古墳の一つである。なお、後方部平坦面の規模については、神社の建物等による改変が著しく不明である。」(p.63)と述べられています。
 ここでは、市教委の説明板や岩原剛さんの『東三河の古墳』での記載「市杵嶋神社古墳は全長五五~六〇メートルの前方後方墳であり、主体部などは明らかにされていないが、くびれ部の発掘調査で葺石が検出されたほか、儀礼に使われた供献土器群が出土している。」(p.20)により、全長を「55~60m」としました。

 余談ですが、神社の祭神となっている「市杵嶋姫命」は宗像三女神の一柱です。世界遺産に登録された沖ノ島には、宗像大社の沖津宮があり長女の「田心姫神」を祭神としています。宗像三女神を祀る神社は、海上交通と関連する神社が多いように思います。三河湾岸の天然記念物に指定されている蒲郡市の竹島、そこにある「八百富神社」の祭神も「市杵島(嶋)姫命」でした。
 想像をたくましくすれば、古墳の被葬者は三河湾の海上交通を支配した人物であると思われます。  


 神社の標柱。
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m

 豊橋市教委の説明板。
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m


 後方部墳頂の社殿。
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m

 後方部の一部に残る貝塚。
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m

 後方部端全景。
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m


 前方部跡から後方部。前方部右隅跡から後方部。前方部左隅跡から後方部。
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m
 
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m
 
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m


 全景(横から)。右が前方部跡、左が後方部。
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m

 全景(横から)。右が後方部、左が前方部跡。
03 市杵嶋神社古墳 豊橋市牟呂市場町 前方後方墳 55~60m
        以上2022年11月撮影。


 姉妹ブログ「古墳探訪 大型古墳集成」の2019年2月17日のブログ、「1168 市杵嶋神社古墳」で、2019年2月、2014年2月に撮影した絵を掲載しています。



Posted by じこま at 07:06│Comments(0)
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