2024年01月25日

05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 下記の新城市教育委員会の説明板に、「断上山の丘陵一帯には10号墳のほかに9基の古墳が見られる。第1号墳~第8号墳は後期に属する6~7世紀の円墳で市の史跡となっている。第9号墳は直径17m、高さ3mの円墳(おっさん註 ママ)である。この古墳は古墳時代前期と推測され、愛知県の史跡に指定されている。」と記されています。前方後方墳の10号墳と同時期の前期古墳ということで取り上げました。 
 前回の10号墳の約50m南東に位置し、標高60~70mの台地南端に立地している古墳です。この9号墳は通称「物見塚」とよばれ、「長篠・設楽原の戦」の際、徳川家康が敵陣の様子をここから伺っていたと伝えられています。確かに、この付近からは、連吾川を挟んで対峙していた武田軍の様子が手に取るようにわかると思いました。また、この古墳の立地する台地の南西端には、八剱神社があり、この場所が家康の本陣となっていました。
 下記の遠景の絵の右端付近に古墳に向かう入口、左端の道路の奥に八剱神社があります。入口付近には、「断上山古墳 徳川家康本陣跡」と表示された案内板や「長篠役設楽原決戦場」と記された石柱が設置されています。

 須川勝以さんは、「第9号墳は、1973年の発掘調査によって、径約17m、高さ3mの円墳であるとされ、墳頂部には径6mにおよぶ平坦部の存在が確認されている。ただし前述のように墳形については、方墳ではないかとの疑問が呈され、測量図を見る限りその可能性は高いと思われる。(中略)第9号墳では斜面に葺石が見られ、それが2段になる可能性も指摘されている。周濠はなかったようである。」と述べています(「218 断上山古墳群」p.649、『愛知県史 資料編3 考古3 古墳』所収)。 ここでは、一辺17mの方墳としました。
 9号墳は、「断上山古墳」という名称で、10号墳とともに、愛知県の史跡に指定されています。

 余談ですが、この9号墳から10号墳に向かう途中に立石があり、石室の石材の一部ではないかと妄想が広がってしまいました。「思い込みだらー」。
 
     
 標柱。
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 石柱。「家康物見塚跡」
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 設楽原を守る会の標柱。
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m


 近景2つ。
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 墳頂。
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 全景。西から。
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 全景。南から。
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m


 石室の石材?
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 新城市教委の説明板。
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 入口の案内板。
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 入口の石柱。「長篠役設楽原決戦場」
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m

 遠景。
05ー1 断上山第9号墳[断上山古墳群] 新城市大宮 方墳 辺17m
        以上2024年1月撮影。


  姉妹ブログ「古墳探訪 大型古墳集成」の2021年2月9日のブログ「番外 断上山10号墳のおまけの「9号墳」」に、2021年2月・2013年8月の絵を掲載しています。



Posted by じこま at 07:06│Comments(0)
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