2024年03月13日
22 摩詞戸(まかご)13号墳[摩詞戸古墳群] 新城市一鍬田 前方後円墳 28.3m
摩詞戸古墳群は、2基の前方後円墳を含む15基の古墳で構成されている古墳群です。「摩詞戸古墳群」という名称で、新城市の史跡に指定されていますが、そのうち7基の円墳は滅失しています。この13号墳から消失した15号墳は、段丘の南端部に位置しています。
この古墳は、民家の敷地内にあり、前方部と後円部はそれぞれ所有者が異なっており、両家の許可を得て訪問しました。ご協力に感謝申し上げます。後円部は築山として樹木が植えられて手入れされており、後円部端は削平されて石垣が積まれていました。植栽で区切られた前方部は、木が刈られて墳丘の状況がよくわかりました。
須川勝以さんは、「222 摩詞戸古墳群」(『愛知県史 資料編3 考古3古墳』)の中で、「測量調査の行われた第13号墳は大きく削られていて墳形が必ずしも明確ではないが、前方後円墳とみれば墳長25m以上、前方部長約10m・高さ1.2m、後円部高2.6mが計測される。後円部径は主軸方向で15m以上、前方部頂は平坦で後円部とは2mに近い比高がある」(p.656)と述べています。
ただし、新城市のHP.の「摩詞戸古墳群(まかごこふんぐん)」の項目で、「名称 13号墳、直径 全長28.3m、高さ2.4m、形状 前方後円墳、備考 一部、亡失」と記されています。
ここでは、後者の「全長28.3m」を採用しました。
余談ですが、須川勝以さんは、同上書の中で、「本古墳群は総数15基で構成されるが、分布状況を見れば少なくとも第1~8号墳と第9~15号墳までの2群に分けられ、全てを同一の古墳群と捉えることは適切ではないと思われる。」(p.656)と指摘しています。そのため、前方後円墳2基を有する後者をこのブログで取り上げ、前者は姉妹ブログ「古墳探訪 大型古墳集成」で取り扱うこととします。「ややこしいダラー」。
摩詞戸神社前の案内図。
1号墳近くの標柱。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
後円部から前方部。
後円部端全景。
前方部端全景。
後円部の石室の石材か。
全景。右が前方部、植栽の左が後円部。
全景。右奥が後円部、左が前方部。
遠景。中央右が前方部、中央左奥が後円部。 以上2024年1月撮影。
この古墳は、民家の敷地内にあり、前方部と後円部はそれぞれ所有者が異なっており、両家の許可を得て訪問しました。ご協力に感謝申し上げます。後円部は築山として樹木が植えられて手入れされており、後円部端は削平されて石垣が積まれていました。植栽で区切られた前方部は、木が刈られて墳丘の状況がよくわかりました。
須川勝以さんは、「222 摩詞戸古墳群」(『愛知県史 資料編3 考古3古墳』)の中で、「測量調査の行われた第13号墳は大きく削られていて墳形が必ずしも明確ではないが、前方後円墳とみれば墳長25m以上、前方部長約10m・高さ1.2m、後円部高2.6mが計測される。後円部径は主軸方向で15m以上、前方部頂は平坦で後円部とは2mに近い比高がある」(p.656)と述べています。
ただし、新城市のHP.の「摩詞戸古墳群(まかごこふんぐん)」の項目で、「名称 13号墳、直径 全長28.3m、高さ2.4m、形状 前方後円墳、備考 一部、亡失」と記されています。
ここでは、後者の「全長28.3m」を採用しました。
余談ですが、須川勝以さんは、同上書の中で、「本古墳群は総数15基で構成されるが、分布状況を見れば少なくとも第1~8号墳と第9~15号墳までの2群に分けられ、全てを同一の古墳群と捉えることは適切ではないと思われる。」(p.656)と指摘しています。そのため、前方後円墳2基を有する後者をこのブログで取り上げ、前者は姉妹ブログ「古墳探訪 大型古墳集成」で取り扱うこととします。「ややこしいダラー」。
摩詞戸神社前の案内図。
1号墳近くの標柱。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
後円部から前方部。
後円部端全景。
前方部端全景。
後円部の石室の石材か。
全景。右が前方部、植栽の左が後円部。
全景。右奥が後円部、左が前方部。
遠景。中央右が前方部、中央左奥が後円部。 以上2024年1月撮影。
Posted by じこま at 07:06│Comments(0)